取扱い事案

FBIの囮捜査への立会い

ある日、「上席の役員の1人が、Eメールを脅しの道具にして、ハワイ在住の男に恐喝されているので何とかしてほしい」という依頼が、顧問先から来ました。脅しのネタは、脅されている本人にとっても会社にとってもかなり深刻なものだったので、放置するという選択肢はあり得ませんでした。脅されている役員と会社は利益相反関係にあるので、役員の代理人に先輩の弁護士をお願いし、私は会社の代理人という布陣を張りました。ここまでは、順調に進んだのですが、次に何をしたら良いのか、相手がハワイにいるだけに皆目見当がつかず、困惑するばかりでした。

何もしないでじっとしているよりは、体を動かした方がマシだろうくらいの考えで、何の見通しもなかったのですが、とにかくハワイに行くことにしました。「脅しのネタを知り得る人物は誰々しかいない」というロジックから、犯人が誰かの見当はついていたので、現地に着くと、犯人の家を外から見るなど、無意味なことをいくつかしてはみたのですが、もちろん何の役にも立ちませんでした。そこで、日系人の弁護士にチームに加わってもらい、対策について意見交換をし、結局、「ダメもとでも」というつもりでハワイのFBIを訪問することになりました。

生まれてはじめて、FBIのオフィスに案内されました。「正式に事件を受理しなくても、FBIを名乗って電話をかけることくらいできるが、それで良いか?」「いや、そのような安易なことをお願いしに来たつもりではない」といった、捜査の要請に対する本気度というか「単に利用しようとしているだけか否か」を見きわめるためのやりとりがひとしきりありました。こうしたやり取りについては、日本の警察に何かをお願いし、動いていただく時のコツの一つとして心得ており、何度も体験してきたことでしたので、それなりにこなしていったところ、「それでは、事件として捜査しよう」という、確約をFBIから受けることができました。

それから後は、2~3カ月位だったでしょうか、ひとしきり、犯人とのEメールのやり取りが続き、FBIからは、犯人に宛てて日本から送るEメールの文言についての指示などを受けました。どうやら犯人の要求する金額が当初それほど高くなく、重罪(フェロニー)に届いていなかったので、金額がせり上がっていくようにメールで誘導するのが目的のようでした。そして、要求金額も目論見通り上がった頃、「そろそろハワイに来い」という指示が伝えられ、空振りも1回あったのですが、2回目の訪問で、ついに、現金の受渡しの約束をとりつけることに成功しました。早朝の広い公園の中に点在するベンチのある小丘の内の一つが、現金の受渡しの場所でした。現金は、全部が本物の札束をFBIが手提げ袋に入れて用意してくれました。小丘を取り囲むようにして、男女を問わず膚の色も問わず、20人位がまちまちの服装でジョギングしていたのですが、彼らは皆FBIのエージェントでした。犯人が登場し、恐喝されている被害者から紙の手提げ袋を受け取った瞬間、ジョギングしていた20人位のFBIのエージェントは、全員小丘に駆け上がり、一瞬「しまった」という表情になった犯人は逮捕されました。犯人は当然有罪となり、収監され、恐喝事件は解決しました。

この事案は、運良く大成功に終わりましたが、日本人が被害者の犯罪なのに、どうしてFBIが囮捜査までして逮捕してくれたのか、今でもその理由は謎のままです。とは言うものの、本来の意味からは離れますが、「虚往実帰」の充実感そのもののような案件でした。

火災保険のモラル・リスク訴訟の先駆け

昭和63年(1988年)10月に火災事故が発生したのですが、この火災事故に対して保険会社は放火の疑いが強いと判断し、保険金の支払を拒絶しました。火災保険の保険金を巡って争いが生じ、社会運動等標榜ゴロが、保険会社の本社の社内に映画の撮影機のような、今では考えられないくらい大げさなものまで持ち込んで、居座ったりといったこともありました。こうしたことに動じず、早い時期から先輩の弁護士に応援をお願いしたりして、支払拒絶を貫いていたところ、この事案は、結局、平成2年に大阪地裁に提訴されることになりました。

今では、最高裁判所から保険会社各社に対して、「あまりやりすぎるなよ」といったメッセージの込められた一連の判例が出ており、モラル・リスクに対する訴訟対応は、さして珍しいものではなくなりましたが、この訴訟は、そうした流れをもたらすことになったリーディング・ケースの一つでした。幸運だったのは、訴訟の中途で原告が全く別の詐欺事件を起こし、有罪判決が下されたことです。そのために、原告が収監されている刑務所の所内で、本人尋問をするという「めったに出来ない」体験ができたこともありますが、その「別の詐欺事件」の刑事一件記録が入手できたことが、望外の幸運でした。刑事記録のどこが一番重要か、理解できずに、全部を民事の裁判所に出したのですが、裁判官は、ある捜査報告書に添付されていた「原告の時期別負債状況の推移」を、判決書に添付までして重視しました。「借金を『故意』の推認の間接事実として重視する」という発想を、学ばせてもらいました。

この事件は、平成6年10月11日に、「故意の事故招致」までは認定してもらえなかったものの「損害の不実申告」で勝訴し、原告との関係では地裁で確定しました(判例時報 平成7年4月1日号、No.158、117ページ以下、判例タイムズ 平成7年2月15日号、No.864、252ページ)。

フィルム・ファイナンスの日本への導入

クライアントは、米国の映画製作の資金提供者として、ニューヨークで活躍していたイギリス人で、米国をはじめ、いくつかの国で、「フィルム・ファイナンス」という手法で、資金集めをしていました。「フィルム・ファイナンス」というのは、当時、多くの国で、映画の「所有権」に8か月などといった短い「特別償却」の期間が認められていたことから、タックス・ディファーラル(税金の支払時期の後倒し)のメリットを享受することを目的の1つとして、映画の「著作権」を何人かあるいは何社かで購入するというものです。後に生ずる上映料や放映料あるいは二次的利用の対価などが、「後倒し」された収入となります。したがって、購入する映画は、ある程度ヒットしなければならないので、数学的根拠は分かりませんが、「フィルム・ファイナンス」では、一つのプロジェクトあたり「3本」の映画がセットとされていました。何でも、1本や2本では、ヒットする確率が低すぎるのですが、3本を4本や5本に増やしても、追加される資金の割には、ヒットする確率はあまり大きくならないのだそうです。もちろん、「フィルム・ファイナンス」の主催者は、投資の対象とする映画の選別の達人としての評判も得ていなければならず、依頼者はそういう意味で、映画の目利きだということでした。

日本への初導入だったので、「パス・スルー課税」や「倒産隔壁」などの論点との関わりで、集めた資金をプールする器の法形式について、民法上の組合や匿名組合の性格を多方面から検討し、何とか実務に耐えるパッケージに作りあげました。

アソシエイトとしての関与なので、自分の取扱事案とは言えないかもしれませんが、弁護士になって日も浅い時期の鮮烈な体験でした。

また、しばらくすると、このパッケージは、デッド・コピーされていることを知り、まだ若かったので、複雑な心境だったことも、今となってはなつかしい思い出です。